設計者の発言

業務システム開発とデータモデリングに関する語り

住民情報と統合された「戸籍」のデータモデル

 自治体システムは日本に1基あればいい――そのように昔から主張しているのだが、統一自治体システムには「戸籍」も組み込みたい。戸籍に関する事務は、法務局の指導・管理のもとで自治体が担っているからだ。自治体の住民情報の基礎を成す「住民」や「世帯」に戸籍がどのように統合されるかを見よう。

 戸籍は「人が出生して死亡するまでの親族関係(夫婦や親子)上の身分を公証するための記録」で、婚姻、社会保障関係の手続き、旅券発行、相続等さまざまな場面で利用される。日本の戸籍制度の特徴は、その編製単位が個人ではなく家族(夫婦と未婚の子)である点だ。これは世界でも唯一といっていいほどに稀で(韓国は2007年にドイツは2009年に個人編製単位に移行)、無戸籍や相続人確定の困難等さまざまな弊害をもたらしている。戸籍制度の経緯や問題については、「日本の家族と戸籍(下夷美幸,2019,東京大学出版会)」が詳しい。

 まず、基礎となる住民と世帯のデータモデルを確認しておこう(図1)。「住民」は「世帯」を介していずれかの「自治体」とリンクされ、その自治体に対して国や自治体向けの税金を支払い、国や自治体からのさまざまなサービスを受ける。

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図1.自治体・世帯・住民のデータモデル

 モデルからわかるように「世帯」には複数の「住民」が対応する。世帯がまるごと他の自治体に引っ越し(転出)した場合、世帯の自治体コードが切り替わるだけでよい。世帯メンバーのうち1名だけが他の自治体に転出する場合、転入先の自治体向けの新たな世帯が新設され、その住民の世帯IDが更新されることになる。

 この更新過程が図1、つまり「住民データのあるべきデータモデル」が前提になっている点に注意してほしい。現行の住民情報は自治体毎に異なるシステムでバラバラに管理されているため、実際の更新過程はもっと煩雑だし漏れもある。たとえば、転出届をして転入届をしなければあっさりと「住所不定」となる。こういった理不尽は「各自治体が業務システムを個別に用意する」という方針がもたらす非効率や不合理の氷山の一角でしかない。たとえば、ワクチン接種の予約・配送・在庫を管理するための仕組みも、統一自治体システムを基礎とすれば簡単に手に入る(関連記事)。

 ではいよいよ、図1のモデルに「戸籍」を組み込んでみよう(図2)。現行制度での編製単位が家族(夫婦と未婚の子)であると説明したが、データモデルとしては個人単位、すなわち個人と個人の関係を捉える形でよい。そこから家族別の「ビュー」も必要に応じて取り出せるからだ。これは生産管理で言う「集約部品表」と「シングルレベル部品表」との関係に似ている。前者から後者は導出できないが、後者から前者は導出できる。

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図2.自治体・世帯・住民・戸籍のデータモデル

 赤線で示されている部分は、戸籍にまつわる情報を組み込むために図1に付加された要素である。住民の属性項目として「父親ID」と「母親ID」が組み込まれているとともに、住民を参照先とする「婚姻履歴」が追加されている。住民の父親IDがブランクであれば"認知"されていないケースである(両親ともブランクというケースもあり得る)。それにしてもこのモデルでは戸(家族)の概念は失われているので、これらの項目を「戸籍」と呼ぶのは形容矛盾ではある。

 また、最近話題の「選択的夫婦別姓」はこのモデルでは許容される。許容されるどころか、婚姻履歴を追加する際に特段の指定をしなければ別姓となる。つまり、婚姻届と同時に「結婚するので姓を変更します」と申請しない限り、相手の姓にならない。ようするに、このモデルでは婚姻と姓の変更が完全に切り離される。ちなみに、夫婦別姓を認めると日本の伝統的家族観が壊れると心配する向きがあるが、結婚時に夫婦どちらかの姓で統一するルールは明治31年の明治民法で導入されたものでしかない。北条政子が源政子でなく日野富子が足利富子でなかったように、それ以前は夫婦別姓であった。

 なお、図1において住民は世帯主や扶養者との「続柄(つづきがら)」を持っていたが、図2には含まれていない。戸籍として親子関係が定義されているからだ。無理に続柄を持てば戸籍との不整合が生じ得る。ようするに正規化違反である。

 いっぽう、意図的にはずした戸籍要素もある。はずしたわけではないが、未成年後見人や相続の放棄・廃除といった細かい要素はモデル上では省略されている。しかしこれらよりも知られた「本籍」については、どうも組み込む気がおこらない。あまりに無意味な項目であるからだ。

 どういうことか。「本籍のある自治体」がその戸籍の管理主体になるというルールはあるが、それは紙媒体を保管するための便宜でしかない。合理的に電子化されたなら本籍にこだわる必要はなく、世帯のある自治体が戸籍事務を受け持てばよい。本籍の無意味さは、結婚の際に新設する戸籍の本籍として、皇居や大阪城甲子園球場の住所が人気であることからもわかる(富士山頂も人気だが住所がないので不可)。こういったオモシロ情報を血税を使って維持する意義があるとは思えない。

 住民情報と統合された戸籍モデルの利点として、任意親等の親族をその現住所とともに一覧できる点が挙げられる。上述したように、現行の戸籍管理態勢では、推定相続人の確定に多大な手間がかかる。1976年、2007年と戸籍謄本の請求要件が厳格化されたため、ますます困難になった。厳格化はもちろん必要ではあるが、技術的には推定相続人を一瞬で取り出せるとしたらその合理化効果は大きい。

 最大の効果は、社会心理的偏向の是正ではないかと思う。かつて戸籍は「家族関係の基礎」とみなされたため、さまざまな不合理や差別の原因となってきた。たとえば戸籍に非摘出子を組み込むことを「戸籍が汚れる」として忌避する考え方が今でもある。図2のモデルではそういった制度由来の潔癖趣味が関わる余地がない。本来であれば家族関係は情緒のレベルで認識されるべきで、たかが戸籍の様式などに影響されてはいけない。個人単位編製の戸籍はそんな当たり前を気づかせてくれる。

 蛇足ではあるが、このモデルを実現するための最大の障壁は、大なり小なりの法律改正が必要になる点であろう。それは避けられない。大事なのは、まずは合理的なデータモデルを確立したうえで、そのように様式化された情報を効率的・効果的に運用するための法制度や組織体制、あるいは移行計画を立案することだ。その順序を逆にすれば抜本的なデータモデルは得られないし、現状を墨守するばかりでは中途半端な変化しか起こせない。情報管理の鉄則は「情報のあるべき形」を確立してから「情報のあるべき管理態勢」を考えることだ。戸籍も例外ではない。